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【理解したいけれど難しい】
【子育ての悩み】
【ありがとうよりも・・・】
【嘘のチリ積も】
【違う方向を見ていた】

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夫婦問題はあってあたりまえ

【理解したいけれど難しい】

夫婦でも理解し合えないことは
あるのだと思います。
それがいけないのではなくて、
あるということなのです。
 
離婚した時には思います。
何も理解できていなかった。
もしくは何も理解できていなかったのではないか、と。
 
人を理解するとき、自分を投影して、
はたまた自分のフィルターを通してしか理解できません。
 
完全にその人を理解するというのは
かなり不可能に近いことなのではないかな、と
思います。
 
それは夫婦に限らないのかもしれないです。
子供でも親てもそうかもしれないし、
友達でもそうかもしれない。
もしかしたら自分でも自分のことを理解しているとは
言えないのではないかと思うときもあります。
 
もしかしたら一番不可解な人物は
一番身近な夫や妻なのかもしれないです。
自分を除いて、かも。
 
だけど失いそうになったり
失ってみて
初めて何も知ろうとは思っていなかった
ということに気が付くのかもしれません。
 
知り過ぎてもまた苦しいこともあるものなので、
知ればいいかというと、そうとも言えず、
やはりある領域、
理解はできないところがある。
その方がいいこともあるのかなとも思います。
 
それでももちろん理解しようとすることは
無駄ではないと思うし、
そうした向き合い方は
関係がある限りは大事なことだと思います。
 
理解できないこともあるけれど、
最初からあきらめてしまうより、
そこにたどりつくまで理解してみようとすると
かえってわかることがあるのかな、とも思います。
 
どうしたって自分を通して理解している。
そこは偏りがあるものではないでしょうか。
その誤差をわかったうえで理解してみる。
その方がいいのではないか、と思います。
自分のフィルターを取り除いてみるなど、
突き詰めていくと無理なことです。
 
誤差はあるけれど、
理解しようとしてみることが
相手への思いということに
なるのかもしれません。
思いのない人に対しては理解しよう
などとも思わないかもしれませんから。
 

【子育ての悩み】

パンダの赤ちゃんはメスの
可能性が高いそうですね。
パンダはお母さんになると食事をしないとかで
すごく繊細な動物なんですね。
ほのぼのとしたビジュアルに反して。
 
動物の育児を見ていると
いろいろとおもしろいです。
なかにはお母さんではなくて、
お父さんが子育てするタツノオトシゴみたいな
動物もいるし。
カマキリのように相手を食べちゃうという
生き物のもいるし。
ペンギンみたいに交代で卵を温めるのもいるし。
興味は尽きないです。
 
人間は、本来は男が狩りをして
女が子育てをする性なのでしょうけれど、
時代とともにそれも変わりつつあって、
今ではお父さんたちも育児を
積極的にするのがあたりまえになりつつありますね。
とはいえ実態的にはまだまだ
難しいところもありますけれど。
かなり育児をするというお父さんが増えているのも
事実だと感じます。
 
お父さんが育児をするときは、
お母さんと同じになる必要はないと思っています。
多くの場合でやはり女性の方が
育児に関しては能力が高いことが多いです。
もともと持っているのですから。
そこで頑張ったとしても
どうやってもお母さんにはかなわない。
もちろんいろいろとある世話に関しては
できることはお互いに協力してする
というのがいいと思います。
だけど同じことをしようとする必要はないし、
求めることもないです。
 
ときどきお母さんでお父さんに子どもは任せられない
という方がいますが、思いきって任せてみてください。
お父さんはお母さんの代理ではないので、
お父さんなりの接し方で
子どもとの関係を作っていくのがいいのではないかな
と思っています。
 
お母さんと同じ、というのを求めても
あまり意味がないし、父親と母親って
やはり子供にバトンタッチしてあげられるものは
違うのが当然なのではないかと思います。
 
少々お母さんの意図に反することであっても
お父さんなら許されることがあっていいし、
その逆もまた、あるかもしれません。
そういう対応の多様さがあったほうが
世の中にはいろんな人がいるので後々
子ども自身がびっくりしないで済みます。
 
そうやって子供は家庭という最小の単位の中で
いろんな意見があって、
いろんな人に対応をしていくことを
学んでいくのがいいのでは。
またその方が世の中に出たときに
生きていきやすいのではないでしょうか。
 
教育方針が一致しなければならない、
ということもないと思います。
お父さんの言うことと
お母さんの言うことが違ってもいいし、
その違いをちゃんと理解できているのが大事。
みんな同じではないのですから。
 
お互いの育児に関する意見をぶつけ合ってしまうのではなく、
許容し合うというのでしょうか。
そういうのもありだよね、という。
なるべく許容範囲を広くしておくのがいいかと。
なぜなら育児に正解がないので
親であっても迷いながらというのが
本音ではないでしょうか。
「これをしたら絶対」なんてないので。
あったらいいですけれど。
実際にはないので。
 
お父さんが育児をするときはお父さん流で。
お母さんはお母さん流で。
たぶんすり合わせしておいた方がいいのは、
ルールなんだと思います。
これはやったらダメ。
そんな最低限度のルールを決めておけば、
あとはのびのびと子どもと接することが
大事な気がします。
 
 

【ありがとうよりも・・・】

会話のない夫婦よりは
会話がある方がいいですが、
ただ会話があればいいか、というと
単純にそれだけとは言えないところもあります。
 
要は質。
会話の質の問題で
「ありがとう」は魔法のような言葉ですが、
場合によってはというか、
夫婦間がぎくしゃくしているようなときに
「ありがとう」だけ言っても「何が」と突っ込まれる
事になりかねませんし、
実際に心のこもっていない
「ありがとう」は何も響かないに等しいのかもしれないです。
 
ある妻夫に「いつもありがとう」と言われて
喜べませんでした。
素直にその言葉を受け取ることができません。
 
夫はいつも家族や夫婦に関心を持たず、
対して感謝されているとは感じていなかったので、
「ありがとう」と言われても
それが本心から言ってくれているとは
受け取れませんでした。
ただの社交辞令。
 
やはり、どんなふうに何がありがとうで、
どれほどありがたいと感じているか、というのが
伝わらないと、とくに夫婦という関係は
密度が高い関係なので、
ちょっとやそっとでは伝わらないということなのかな、
と思います。
 
「いつもきれいに掃除してくれて
気持ちよく過ごすことができるよ、ありがとう」とか
「おいしいごはんを作ってくれて幸せだ、ありがとう」とか。
 
「仕事を頑張ってくれてうれしい、ありがとう」
「子どものことを真剣に考えてくれて
いつもありがとう」とか。
 
何か具体的にちゃんと
ありがとうの中身を伝えた方が
相手には気持ちが伝わるし、
ほんとうにそう思っていないと
そうした言葉は出てこないので、
社交辞令の「ありがとう」に
なってしまいがちかなと。
 
社交辞令すらない、という夫婦もいますので、
そうした夫婦はまだ社交辞令でもあったほうがいいですが、
より仲良く、いい関係というときには、
ただの「ありがとう」だけだと物足りないかもしれないです。
 
それよりはもっと心のこもった言葉を探すほうがいいです。
 
要は言葉って相手にどこまで響くか、
だと思うので、響かない言葉を
いくら重ねていても、それほど何か変化を
もたらしてくれるわけではないです。
 
 
よくお手伝いした子供に対して「ありがとう」より
「ほんとに助かったわ、ありがとう」と言ったほうが
次にもまたお手伝いしたくなると言いますが、
夫婦もそんなところがあるのだと思います。
次に続けていく関係は、
感謝だけよりも次の行動を起こすことができる
そんな有意義な質のよい言葉のやりとり、
会話ができているとよいのではないでしょうか。
 
量より質のときがあります。
もちろん量がない夫婦の場合は
質より量かもしれませんけれどね。
 

【嘘のチリ積も】

九州など大雨のようですが、
皆さんのところはどうですか。
東京もけっこうよく降りました。
カラ梅雨だと思うと巻き返しみたいに
ドカンと降りますね・・・。
 
嘘をつかれると信頼は失せていくのは
法則みたいなものですが、
小さな「これくらいなら」とか
「妻は(夫は)嫌だろうから」とか
仮に相手を想定してついた嘘だとしても
やはり嘘って何もいいものをもたらさないのかなぁ
と思うのですが。
 
よく「ちょっとしたことで嘘をつく」という
相談があります。
 
それが積み重なると、
結局大きく信頼を失うことになって
夫婦問題ということになります。
嘘のチリツモ状態です。
 
もちろん大きな嘘があれば、
それで信頼は一気に失墜しますが、
そうでなくても失墜することがあります。
 
嘘をついている側は、
大丈夫と思っているようなんですが、
それは思い違いで、小さな嘘でもつくたびに
信頼は一枚ずつはがれていってしまう。
なくなっていってしまう。
 
ちょこちょこついた嘘か重なっていき
でもそれが決定的に
夫婦に亀裂を入れていっている。
 
それに一度嘘をついて、それがわかってしまったときって
ダメージはけっこう大きいものです。
嘘をついた側が受けるダメージというのも。
意外と。
あまりそうは思えないみたいですけど。
 
ときどきね、嘘をつきすぎて
言ったことを忘れているなんていうこともあります。
嘘が日常化している人は
嘘と言っていることの境目が
わからなくなるのか、
帳尻がどこかで合わせられると思うのか、
むしろどれがほんとなんだろう・・・・と。
たぶん本人の中でも
わからなくなっているのかもしれないです。
 
でもほんとに嘘をつかないわけにはいかない、
という人もいるんですね。
止められないです。
 
信頼が積まれて行かないと
そこには何も人と人としてのかかわりというか、
何かを生みようがないというか。
ほんとに、疑心ばっかりになってしまいます。
 
疑心暗鬼というくらいだから、
疑心があるとほんとのことも嘘に思えてきてしまうので
なんだろう、根底がないような人間関係。
 
身近な人とそんな関係でいたら
ほんとやりきれないし、
安らぐどころか・・・・です。
 
「これぐらいは」というのは危険。
また、小さな嘘も危険。
嘘なんてバレるものというのが
ほんとじゃないかな、と思います。
 

【違う方向を見ていた】

夫婦は意外と違う方向を見て進んでいて
ある日突然、問題が起きます。
あまり聞かないですしね。
お互いにどうしたいか。
あるいは聞いても本音を言わなかったり
言えなかったりしていることはないですか。
 
夫婦にはあまりこうというルールがないので、
なんとなく過ぎていることがほとんどです。
そのときどきで。
成り行きに合わせて、というのは
柔軟性があっていい一面もありますが、
ルールがない分、
ときには「こうかもしれない」と自分の中で
判断したり、決めつけてしまったりしがちです。
 
決めつけて見てしまうと
ほんとに視野が狭くなってしまうので、
見えているものも
見えない状況になってしまいます。
 
夫はこうだから。
妻はこうだから。
そんなふうに決めつけてしまうと。
それほど人間単純でもないかもしれないし、
かつての妻や夫、今の夫や妻とは違っているとこも多いので、
わかっている、という認識は
危険度が高いことではないかなと思います。
 
なんでなんだろう? という視点。
なんで今日は機嫌が悪いのだろう。
なんでそんなことを言うのだろう。
いろいろ日々。
なんでだろう、はあると思うんです。
 
自分自身に対してだってあります。
なんだか今日は調子がよくないとかいいとか。
いつもだったらこうだけど・・・今日は違う、とか。
そんなにステレオタイプにはなれません。
きっと相手も同じはず。
 
だから、その日その日で違う。
その年齢で違うし、そのときの状況で違ったりします。
でも、ほんとに夫婦って目の前の相手ではなくて、
自分の情報で考えていたりします。
その情報が最新かどうかっていうことだと思います。
 
日々更新していってください。
情報を。
そうしないと、ある日突然
全く違う方を見ていたのだ、ということに
なってしまいます。