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夫婦問題はあってあたりまえ

夫婦の在り方

【我慢したのはどっち?】

夫婦問題というのは
我慢と密接でして、
我慢してきた、とか、
我慢の限界、とか、
私だけが我慢すればいいの?とか
 
いろいろ「我慢」というものとかかわりが深いです。
そもそも結婚生活がそういう面が
あるからなのかもしれません。
 
だけど、我慢というのは自分で選んだことなので、
相手に対して恨みに思ったり、
反撃をしたりするのは、お門違いではないでしょうか。
好んで我慢したのだとしたら。
途中で限界maxと言われてもね。
 
我慢できないとなれば、
それをどうにか変えていく何か働きかけなのか
努力なのか、
限界が来る前に何かできるはず。
するべき。
 
限界まで我慢しちゃうことが
問題なのではないのかな、と思います。
 
限界までいっちゃうと
けっこう爆発するしかなくなるでしょうから。
 
ギリギリまで我慢して
爆発する――そんなことが多いので、
そんな必要はないのではないか・・・と思うんですけれど。
 
もともと日本人は我慢が美徳という
価値観を持っていますから、
そんなことも影響はあるのだろうは思いますけれど。
我慢はほんとに美徳かなぁ、と思うんです。
 
一時我慢しなければならない状況という
ときはあるかもしれません。
ですが、結婚生活が夫婦の関係が
一方の我慢で成り立つはずがなく。
それは一見、うまくいっているように
見えるだけなのかなと思うんですよ。
 
我慢という選択をしたら
爆発したりキレたりしないように。
自分で選んだのだとしたら。
嫌ならやめる権利というか、道はあるはず。
我慢することを。
我慢を脱するためにはどうしたらいいのか?って。
 
我慢して爆発する。
我慢して限界到達するより、
前に進めていいですよ。

【負の財産】

夫婦喧嘩をしている最中というのは、
お互いに感情オンリーみたいな状態になっていますし、
必要以上に相手を傷つけたいと思っている
わけではないかもしれませんけれど、
結果、傷つけることになっていたりしますよね。
 
やり返したいとか、
勝ちたいとか、
なんだかわけのわからない闘争心に
駆られてはいないでしょうか。
 
だけど、喧嘩を続けた結果どうなるか――。
ということをちょっと考えると
続けたほうがいいのか、止めるべきなのかは
誰でもわかると思います。
 
止めたくないほどの感情はわかるのですが、
結果は止めたほうがいいに決まっています。
 
まあ止められないのだ、というのも
よくよくわかるのですけれど・・・・。
 
ほんとは喧嘩なんてしたいと
思っていないのではないですか?
だけど喧嘩になってしまう。
 
止めることは負けでもなければ
降参したわけでもないです。
懸命な選択のひとつです。
一旦引いてみることは、
じつはとっても得るものが多いことです。
プライドを貶めことでもありません。
むしろ勇気あることかもしれません。
 
勝つか負けるか、なんて
夫婦喧嘩にないので、
すればするほど、
負の財産が増えていきます。
 
まあやりっぱなしの人も多いですけれど、
やりっぱなしにした結果、
結果としてはやはり当然の結末が待っています。
夫婦には決定的なヒビが入っていくという。
 
ここまでは大丈夫が
相手のここまでは大丈夫とは違うので、
それが怖いですよね。
 
安易にしがちだし
ささいなことで発展していく
夫婦喧嘩ですが、
意外と夫婦のその後の決定打になっていくし、
トリガーにもなるし、
いろんなことを引き起こします。
 
ほんとに。
だから回避するということを
意識的にしてみてほしいと思います。
 
 
 

【忖度させられる】

今年の流行語大賞になるのではない!?
という「忖度」という言葉。
 
相手の、誰かの気持ちを推しはかる
といったような意味ですが、
一気に今年あちこちで使われるようになった言葉ですね。
 
夫婦関係見ていると忖度させられているときが
ときどき見受けられます。
推しはからせられている。
 
慮ると忖度の違いは、
そこに自分の気持ちがあるかないかの違いじゃないか
と思うんですよ。
慮るはよくよく考える、とあります。
よくよく考えて「こうではないか」
「ああではないか」と想像して、
熟慮されているのが慮るだとしたら、
忖度は目の前の人の気持ちを推しはかること。
 
忖度はその人の気持ちのみにフューチャーして、
その人の気持ちを推しはかる。
だけど、慮るというのは周りのことも視野に入っています。
いろいろ考える。
そして自分の気持ちもそこには入っているのでは
ないかなと思います。
 
忖度させられるのは
モラハラ的な言動を回避するために
というようなときもありますし、
ここでキレられると面倒だからということもあるでしょうし、
もっと言うと、忖度させる人というのは
直接的には言わないんですね、
ああせいこうせいとは。
「わかるでしょ」ということを暗に伝えています。
常に。
さまざまなメッセージの出し方で。
 
忖度が相手に基軸があるとしたら
慮るは自分に基軸がある。
そんな違いがあるように思います。
 
忖度している親を見ている子供もいます。
それは偏った価値観や偏った夫婦観を
伝えてしまいはしないかな、と思うときがありますが、
子供というのはたくましくて、
ちゃんと「おかしいよね」と
言ってくれたりもするんですね。
 
 

【支配的】

錦織選手残念ながら
ウィンブルドン、ベスト16には残れず・・・・・あ~、残念
なんとなーく、今年は調子悪そうですよね。
うーん。
 
いい妻をやってもやっても
夫は満足せず、
さらにその上へ上へと求められている妻がいます。
 
どこまで努力を続けるのか?
は彼女が決めることなので、わかりません。
気が付いたら夫は反省をすることのない
モラハラ夫になっていました。
というかもともとモラハラ夫ですが、
さらに増大したモラハラ夫。
 
あまりいい奥さんやっていると
そんなことになっているときがあります。
 
しかも努力しても、それは報われない。
とても残念なことに。
 
良妻賢母という言葉が
現在も生きているのか死語なのか
わかりませんが・・・・・・
自分を抑えて人に尽くすのは
なんだか少し違うのかもしれません。
 
自分の人生のエネルギーは
自分のために消費する部分がないと
現代では無理なんじゃないかなぁと
思うことは多いです。
 
家族のため、夫のため、
だけど自分のために――
家族や夫のためが自分とイコールになる部分は
あるのかもしれませんが、
それだけではエネルギーが行き場を
失うのかもしれませんね。
 
変に支配的になったりします。
 
誰かのためには
素敵なことで
否定しがたいイメージですが、
それが我慢を伴うのだとしたら、
たぶん間違い――なのかも。
 
無理な忍耐は誰かを
ときに支配したくなるものです。
 
 

【ほんとに大丈夫なのか? 】

七夕ですね。
もしも短冊に願いごとを書くとしたら、
今のあなたは何を書きますか?
ほんとの気持ちがわかるかも?
 
大丈夫と思い込んでいる夫婦は
大丈夫ではないことが多いように思います。
 
大丈夫だと思っていても
それは自分が思っているだけで、
相手は大丈夫だとは思っていないかもしれないから。
 
このくらいなら大丈夫
という勝手な判断がのちの問題を引き起こします。
 
このくらいなら大丈夫というのは
自分の判断でしかなくて、
相手がどう思っているのか、
相手がどう感じているのかは
まったく別の判断だからです。
そこに妻や夫という相手が入り込む余地がないです。
 
でも夫婦というのはひとつの人間関係に過ぎないので、
あまりにも危険な判断の下し方ではないのかな、と思います。
じつは。
 
よくあります。
「ずっと私がひどいことをしてきたと気づいた」とか
「なんであんなことをしてしまったのだろう」と
問題が起きてから気づくということ――。
 
ですが、問題が起きてからだと
すでに問題になっているので、
そう簡単には解決はしないです。
 
すでに問題になっているということは、
相手はそれに対して異議を示しているということで、
反省では追いつかないかもしれないですし、
反省したからといって元に戻るわけでもないからです。
 
できることはとても少なくなってしまいます。
 
でも、勝手な判断を下さなければ、
「相手がどう思うか? 」ということが
少しでも入り込む余地があれば、
その行動は止められたかもしれないんです。
 
人間関係はそうした
相手への「思い」がないと
成立しないのであろうと思います。
勝手な思いではなくて。
 
とてもあやふや「思い」ですが、
勝手に判断する「思い」と
相手を慮るのとは違いがあります。
どちらに軸があるのか。
 
ただ、自分が子育てで大変な状況だったり
仕事で正念場だったりすると
勝手な思いになり、
慮ることができないくらい
切羽詰まった状況になってしまうのだと思います。
 
ただ、もしもし大丈夫と思っているとしたら
それはやはり誤解なのではないか、と思ってみる
くらいの余地があったほうがいいかと思います。
 
勝手な「このくらい大丈夫」を
回避するためには
何か問題が起きたごとに
たとえ、それが小さなことであっても
ふたりあいだに何かのズレがあるのかもしれないな、
と点検修正してみるのが
大きな問題回避のように思います。