人にはいろいろな役割があって。 女、妻、母親。 男、夫、父親。 ときには子供という役割もあります。 兄弟では姉であったり妹であったり。 もちろん兄であり、弟であり。 その役割ごとに果たす、求められていることが 違うのではないでしょうか。 同じ人であっても。 女ととして優秀な人が、妻と、 はたまた母親として優秀か、というと そんなことはなくて。 その逆もしかり。 妻として優秀な人が女として優秀とは限らない。 そのすべてをオールマイティにこなそうとしても 私は無理なんじゃないか、と思います。 全部の役割をパーフェクトにって、 そりーゃあ無理でしょ。 先日新型コロナの専門家会議が なぜだか突然解散になりましたが、 専門家は医療とか、感染症の立場ではプロです。 だけど、それを多くの人にどのように伝えていくかとか、 発信していくかとか、 政策と結びつけるのは 専門家の役割ではないはずです。 だけどなんだか負わされていた感が あったのではないでしょうか。 専門家の意見はひとつの意見として、 それを統括して政治判断をして、 国民を導くのが政治家の役目なはずです。 そういう意味では「専門家のご意見」 という言葉がずいぶんと出ていたように思います。 それがすべてではないはずなのに。 どんなことがあっても とにかく感染拡大を防ぐのだ、というのなら いいんです。それでも。 台湾とかね、見ていると ほんとうにバランスよく 専門家と政治が共働しています。 日本はなかなかね。 うまくいかないですね。 と話しがズレましたが、 ひとりの人間にはいろんな顔があって、 どれもパーフェクトであるはずがない、 ということです。 社会人としてかなり優秀でも 家庭人としてはダメダメなんて たくさんいるのではないでしょうか。 家庭人としてはパーフェクトでも 社会人としてダメダメとかね。 でも、それが人間っていうこと。 パーフェクトである必要なんてないんですよ。 そして何かひとつでも優秀な役割があれば いいではないですか。 全部を求めなくても。 できないところを見るよりは できたところを見て自己評価を上げていく。 ちゃんと自分を認めてあげる。 ダメなところも含めて。 自分はだめじゃない、 なんて思っているほど傲慢なことはないです。 誰だってうっかりしていることは あるはずです。 |